人と出会い、話をする機会をもらったときに、「この人はどんな人生を過ごしてきたのだろうか?」、「どんなことに心砕いてきた人なのだろうか?」と、人として非常に興味をそそられる人がいます。そして尋ねてみると「実は私こんなことをやってきたんです」、「やっているんです」と聞き、「そういう人だから、こんな話ができるんだ。こんなに詳しかったんだあ」と感心し、記憶に残る人になります。
 一方で名刺一杯に名誉職や資格を並べている人がたまにいますが、大抵そういう人の話は記憶に残りません。
 
 最近、「本当のプロを探したい」というニーズが高まっています。裏を返せば、「プロの肩書きを信じたらえらい目に遭う」という不信感の表れでもあります。そして出てきたのは、医者で言えば「専門医、認定医」の資格。プロの教師を養成する学校もあるとか。プロと称される集団から本当のプロにフラグを立てる、そのための資格。
 同業者からは「資格が無くても立派なプロはいる」と制度に疑問を持つ声も上がっているようですが、他に消費者が目安を立てる適当な方法がなければ、これも有効な選択肢であるという意見もあります。
 私もファイナンシャルプランナーと呼ばれる資格を持つものですが、20年かかってやっと、ファイナンシャルプランナーの役割を少しだけ世間に知ってもらう程度になってきました。この20年間をどう評価したら良いのでしょうか。「お金についての様々な悩みについて相談できる人が身近に欲しい」という、ファイナンシャルプランナーを求めるニーズは常にあったはずです。
言えることは、資格を作れば認知度が広がるわけではなく、その業界で世間の期待に添う活動を継続し頑張ってきた人が世間の評価を受けるにつれて、その人が持っていた資格も評価されるということではないでしょうか。
 プロの証明としてフラグを立てる資格を作る側は、自分で世間にアピールする力はないけど、これから経験値を上げ世間に貢献したいという意気に燃えた資格者に対し、力を発揮し世間が評価してくれる場を積極的に提供する責任があるでしょう。資格だけ用意して、本当のプロであるかどうかを世間が評価する場の提供がないようでは十分ではないと思います。その機会を得た結果、プロとしての技量不足を感じてさらに頑張るか、あきらめるかは本人次第です。
 資格はあるに越したことはありませんが、資格で大事なことは取得することではなく活かすことです。個々人の自助努力はもちろん必要ですが、資格認定機関は取得する人の数よりもそれを活かしている人の数にもっと関心を持たなければ、自己満足の資格になりかねません。