これまでも危機を乗り越えてきました。ケ・セラ・セラ。「なるようになる」は自然に任せるというのではなく、危機を乗り越えようと工夫や改善をしていけば、いずれは乗り越えるときがかならず来るということだと思います。これまで何度も「今回は違う」と妙に浮かれたり、恐怖感にさいなまれたりしたことはありますが、結局は行き過ぎた感情は時間の経過で落ち着いてきます。
大事なことは、「現在は過敏な状況にあるのか。冷静に考えてさらにひどくなる過程にまだあるのか。それとも、過敏な状況から落ち着く方向がみえてきたのか」を、その時点、その時点で位置の確認をしていくことだと思います。
今回の汚染水放出を判断した政府に対して、近隣諸国から情報開示が不十分だという抗議があったと聞きます。これに対して、松本外相は「国際法上の義務との関係で直ちに問題となるものではない」と述べたと報道にありましたが、ここで国際法上どうのこうのよりも、まず情報開示が至らない事実を認め、陳謝し、理解を求めるのが先なのではないかと思いました。
建前よりも、今起こっていることをどう止めて解決していくのかについて、協力を全方位的に求めていかなければならないとき、相手はどうあれ、全てを味方につけて協力体制を固めるべきときだと思います。
「東北がんばれ」と大手スーパーでは東北・北関東の米・野菜・果物などのセールを行っています。東京近郊では、あえて新鮮魚の取り扱いを増やしている店もあります。
「せっかくおいしくできたのに・・・」「おいしいものが獲れたのに・・・」
「廃棄するのはもったいない。おいしく食べれるものもあるはずなのに・・・」
そんな気持ちと気持ちをつなげる行為がもっと望まれます。
「おいしい。おいしい」と食べてくれる、必要としてくれているという姿が、きっと東北・北関東の農業・漁業関係者の勇気になると思います。「自分が作っても誰も期待する人がいない」なんて、あまりに残酷です。
今回の震災でホッとすることがあります。地元で被災者でもある学校の先生や、お医者さんが「何か自分にできることはないのか」と懸命に生きている姿です。まわりも「先生、先生」と慕っているのが画面からも伝わってきます。人に頼りにされ、尊敬の念を受け、それに応えてお役に立とうとする姿がありました。
深刻ぶって考えて立ち止まっているよりも、ケ・セラ・セラ。確実に、一歩、一歩。なるようになっています。