人の援助もなしに無医村に飛び込み、言葉不自由な中でも、医療難民を一人でも多く救おうと頑張ってきた。そして今ではその地元になくてはならないお医者さんとなった日本人の働きぶりを見聞きすることが増えました。旅行で訪ねた一般人が「何か自分にできることはないか」と難民の惨状を見て、現地に飛び込んで、地域住民のために働いている人も少なからずいると聞きます。しかし、援助もなし、人の評価も受けられず、黙々と目の前の課題を処理するのがやっとで、自分の力の無さに絶望し、自分を責めて、意気に燃えた人も志半ばで諦める人も多いと聞きます。
今紹介されている人は何年にもわたる活動がやっと認められた頑張ってきた人たち。同じように、いま自分の生活を投げ出しても奉仕活動をしている誇りある日本人は、知られていないだけで多くいそうです。これは外国にいる方たちばかりではなく、日本でも同様に危機感を持って人知れず頑張っているお医者さん、看護士さん、介護士さん、学校の先生等々、いらっしゃるはずです。
こういう人たちを応援するために血税が使われるべきだと誰もが賛成するでしょう。何故、何がそれを妨げているのでしょうか。やはり納税金額が決定したら、それを国や市町村に納税するか、直接寄付をするかの選択権を国民に付与してはいかがでしょうか。そうすれば、国や市町村はもう少し「何故私たちが皆さんの税金を必要としているのか。これまでどんなことに大事に使ってきたのか」を丁寧に説明して、国民が自分で寄付行為をしなくても、国・市町村が適切な配分をしていると主張するようになるかもしれません。税金の無駄遣いの話を聞くたびに、そのお金の一部でも、心ある人に直接支援できたらと残念です。お金を有り難いと思う人に大事なお金を大事に使っていただきたいと思います。自分の金なのか、人の金なのかも分からない人に使われるお金がかわいそうです。
子供は親の背中を見て育つ。日本人は日本人としての誇りを見失いかけています。外人がどう見るかで右往左往する日本株式相場、円為替相場。日本人が自分たちの評価をできずにいます。このままでよいわけがありません。
私は頑張っている人たちの働きぶりを見て、「自分も頑張らなくちゃ」と思いました。