昨日は、社会福祉士の方で成年後見人として実際活動されている人の話を聞く機会がありました。親戚はもちろん、家族や配偶者からも見放されてしまった人、認知症で財産も身よりもない人など、どう考えても最初から、他人である自分が関わったら相当な苦労を背負い込むのは目に見えている案件でも、その方は「他で面倒を見る人がいないなら自分がやる」と、これまで扱った事例を淡々と、そしてたまに笑い話のように語っていました。とても、当事者だったら笑えるような話でないことを淡々と話していました。
愛がなければとてもできない、すごい人。
本人は「私は別にボランティアでやってるわけではなく、それなりに報酬を頂いています」と言ってはいましたが、とても話の内容を聞いている限りでは割に合うはずがありません。
とても報酬を頂けない資産状況の方も当然あり、だから面倒をみないというわけにはいかないため、同じ志のメンバーの中で、報酬の一部を出し合い、そういう報酬が取れない方を担当したメンバーへの手当のためにプールしているという話をしていました。
なんて、愛ある人たちなのでしょうか。すごいと思いました。わずかな報酬です。報酬の取れない人を助けるため、その人を助けるメンバーのために、その中から出し合うのです。すごい人たち。
そういう人たちは、それぞれが励まし合いながら、より多くの人を救えればと活動しているわけです。まさしく人財です。一から育てようと思っても、何人の人が彼らのような人財になれるのでしょうか。このまま彼らが頑張りすぎて、いつか心が折れてしまうことは、国として大きな損失です。
なんとか、彼らのような活動をしている人たちに、せめて金銭面で援助してあげられないものでしょうか。
こういう、明らかに個人の負担に甘えて成り立っている役割がたくさん世の中にあって、すごい人たちが「すごい」と感謝を受ける機会もなく、黙々と、淡々と仕事をされているのだと思います。自分には到底出来ないこと。このすごい人たち、人財の存在に感謝。
「これぐらいのことしかできないから・・・」と、その方はどこまでも謙虚でした。
ご家族の支援あって、彼の活動も支えられているのでしょう。その家族も、きっとかなりの負担がかかっているのでしょうねえ。すごい、愛ある人に出会いました。