わからないものだから頼りになる

本日の日経新聞朝刊に「カーナビのせいで夕食に間に合わなかった」とレンタカーを利用したツアー参加者から苦情があるという記事がありました。カーナビに対する過剰な信頼があだになったケースです。「本当かあ。こっちの道のほうが空いているのに」と思いながら、カーナビの指示に従って、渋滞にはまった経験はありませんか?知っている道は、わざわざカーナビに頼って結果に腹を立てるよりも、最初から自分が慣れた道を選んだほうが無難でしょう。にもかかわらず、カーナビで道順を検索するのは自分の知っている道以外に選択はないのかを確かめるためであれば意味があります。
カーナビが本当にありがたいのは知らない目的地に向かうとき。どんな経路で走ったらよいかの見当がつけにくい場合です。わからないものを理解するのに役に立つ道具です。
専門家の話も同様です。出てきた答えを鵜呑みにしないで、「この人は何でこの道を選んだのだろう。自分だったらこっちを選んだのに」というように、自分の選択肢を広げられるような聞き方をしたいものです。すると専門家もけっこういい加減なことをその場限りで言っているなあと感じることが多いと思います。
しかし門外漢でちんぷんかんぷんという分野の場合は、専門家の話が物事を理解する早道として役に立つことが多いと思います。
専門家の予想(よそう)は鵜呑みにせず、予想の逆さ語「うそよ」と参考程度に受け止めて、自分なりの考えを持つことが大事です。