株屋、証券マンは死語になってしまったか??

 株屋って言葉を聞くことがなくなりました。銀行の人間を銀行マン、証券会社の人間を証券マンと区別していましたが、今も使われていますか?

 

 「株屋」「証券マン」は死語になってしまったのでしょうか?

 

 「いつも損させられるけど、あいつの話を聞いてると買ってみたくなるんだよね」

 

 当たり外れ、儲かる、損するは確かに重要なことなんだけど、株式など投資の話をさせると、いかにも楽しそうに話して、その先を聞きたくなるような「投資の語り部(かたりべ)」が証券会社にかつてはいたんだと私は思います。記憶が薄れてきましたが・・・。

 

野村證券が、コンピューターが資産運用をする「ロボット・アドバイザー」事業に参入して、11月中旬にサービスを開始するとのこと。リスクの許容度に応じた最適な運用を営業マンを介さず提案する。ホームページで年齢や運用目標、投資経験など簡単な質問に答えてもらい、慎重な運用を望む「保守型」からリスクを大きく取る「積極型」の5つに分類して、それぞれのタイプに合わせて投資配分で投資信託を提案するというもの。

 

 「30才独身です。投資はリスクが少なくて大きく儲けたい。投資経験はFXを少々。夢は大きな家を建てることです」・・・クリック・・・・「コンナンデマシタ~~」

 

 投資提案がおみくじみたい。なぜ、そういう提案になるかを示すこともなく、示されたほうは提案されたものが自分に合ったものかを検証をするだけ経験・知識・能力もない。

 

 損をしたのは、おみくじ通りに行った投資家の責任。おみくじを引かせた野村證券の責任。それとも、おみくじをつくった会社の責任。

 

 何よりも、野村證券の営業マンさん。どういう気持ち。営業マンの育成に努めてきたはずの人、無念ではない?「いままで何をやってきたのか」って後悔・反省はないのか。野村證券は、今後の対面営業のあり方をどう考えているのか。「営業マンよりロボットを置く方がマシ」という答えでしょうか??

 

 投資に魅力を感じる人が少なくなっているのは、投資の魅力を伝える側が投資の魅力を語れない人ばっかりになったからだと思います。