どんなに良いものでもお財布の中身には限りがある。高くて良いのは当たり前。安くて良いものを見つけるのが生き甲斐という人も多い。関西に転勤したときに、「これ100円には見えへんやろ」と「安くて良い買いもの」を自慢し合う奥さん方のほとばしるパワーに嫁さんは衝撃を受け、ひどく感化されたそうだ。「良いものを安く、安くて良いものを」。口癖になってしまった。
「以前より広く、便利が良くなった」マンション。これが販売好調だったのは、すべて「以前よりも安かった」ことが大きな理由。「バブルの頃に比べれば大分安くなった」と「安くて良いもの」を買うウキウキさがあった。
しかしそのマンション価格も上昇し始めた。こうなると少し事情が異なってくる。今でも「バブルの時に比べれば安い」が、ちょっと前に比べれば「高い」。
株式投資で言う「安値覚え」があり、「あの時よりも高いものを買う」には自分を納得させる理由が必要になる。「もっと良いもの」でなければならない。ただし、良くても値段が高すぎると物理的に買えない。これまでは「早く買わないと買えなくなる」と、そんなわけはないのに、ムードで買う人が大勢いた。でもこれからは「この物件は値段に見合ったものなのか」、「果たして自分はローンを組んで生活していけるのか」と買う前に躊躇して考える人が多くなるはずだ。
安いを売り物にした「マンションバブル」は終わりに近づき、目が肥えた「安くて良いもの」を求める消費者を満足させる質と価格のバランスが求められる。「良いものでなければ金は出さない」と財布のひもを締めたら、安いだけのマンションは見向きもされずに売れ残る。既に「売れる」、「売れない」の二極化は始まっているようだ。「売れ残り」。この言葉を意識したときから変化が始まる。